私、”母親”だった

先週土曜に南大沢のアウトレットへ家族で行った時のこと。

アウトレットとは逆方向の横断歩道を渡った所にある中郷公園で、「うえすとさいど coffee Vol.1―ONE DAY JAM PARK」というのが開催されていたので、ちょっと寄ってみることにしたのです。

すでに電車に飽きてしまった娘を私が抱っこ、夫がベビーカーを押して、緩い坂をテクテク…。

事件は、坂を登り始めてすぐに起こりました。

ズボッ!!ズッシーン!!!!

いや、実際はそんな音はしませんでしたが、気持ちそれくらいの衝撃。

ええ、そうです。転びました。

なんと、20cm径の穴が開いていたのです…。

左足がハマり、コンクリートに右側面を打ち付けるまでコンマ数秒だったと思いますが、咄嗟に考えたのは、

『娘の頭と身体を守らなければ!(無傷では済まないけど)手足は擦り傷くらいで済まさねば!』

左に抱っこしていた娘の頭を右腕で抱え込み、身体をひねって右側面から落ちました。いや、考えたというよりも勝手に身体が動いた。

転んだ直後は「受け取って!」と、娘を夫に渡してボディチェック(笑)頭と身体は大丈夫と確信していたので、手足が折れてないか、パックリ皮膚が切れたりしていないか…。1cmほどの擦り傷が足の甲に出来ていましたが、骨折などは無いことにホッとした途端…自分の痛みに気付きました。

激痛。マジ激痛。

肩は大丈夫(弾力ある二の腕のおかげ?)でしたが、肘、膝、脛を打撲。特に、脛は倒れた時に穴の縁につっかえ棒のようになったので、3〜4mmの深さでえぐれました。

3〜4mmって数字だけ見ると浅いけど、脛の皮膚なんてそもそも薄いわけで、もうすぐ骨じゃん!!って深さですよ。もちろん血、流れてましたし、縁に打ち付けているので打撲も。

はぁ。この歳で、足にバンソーコ貼ることになろうとは。

でもまぁ、私で良かった、娘に大怪我が無くて良かった、と思ったと同時に、”母”であることを改めて認識したのです。

咄嗟に娘の頭を守る動き。頭で考えて行動したものではなく、急所を守ろうとする人間の本能と、母親が子どもを守ろうとする母性本能。娘が産まれる前は当然、自分が痛い思いするの嫌だし、苦しい思いもしたくないと思ってましたよ。30年ちょいの間、自分のために生きてきましたから。それがたったの1年で、自分とは別の人格のために、こんなに反射的に身体が動くなんて。躊躇なく自分を盾に出来るなんて。

私、”母親” だったんだな(笑)

母がたまに言っていた、「母親だから出来るのよ〜」という言葉が、一気に重みを持って、腑に落ちたというか、ストンと私のお腹にハマった感じ。「あぁ、こういうことだったんだ。」と真意を理解できました。

もちろん、自分のお腹から娘は産まれたので、”母親” という立場であることは理解してましたが、これまでは、おっぱいあげたり、オムツ変えたり、離乳食作ったり。娘が生きるために”必要な事”をこなしてきた毎日だったので、正直、「”母親” 出来てるのかなぁ」「タスクをこなしてるだけ?」「”母親” ってもっとこう、心の拠り所になる存在じゃないのか、タスクをこなしていっぱいっぱいじゃダメじゃない?」とか、私の中の”母親像”には全然近づいていない気がしていました。

でも違うんですね。何かをして “母親” になるわけではなく、お腹に子どもが宿った瞬間から “母親” なんですね。だから無意識で身体が動く。

この件で、少し肩の力が抜けました。”母親” になろうと頑張らなくてもいい、朝出勤しながら子どもの夕食を考えてる時点で(笑)私は “母親” なのだと、スッと身体が軽くなりました。

とは言え、今回は運が良かっただけ。倒れたところに花壇や障害物があったら命に関わる事なので、抱っこ紐無しでの抱っこは細心の注意が必要ですね!

ちなみに、なぜ20cmもの穴が人の歩く道に開いていたのか。

普段は車両通行止め用の鉄のポールがハマっているそうですが、その日はキッチンカーを入れるために、フェスの実行委員の方でポールが外されていたから。でも、時間的にはお昼時でフェスは始まってますし、すでにキッチンカーでの搬入作業は終了してるはず。だったら。

ろ。

通行人からの連絡で、お巡りさんが「大丈夫ですか〜?」と、来てくれましたが、大丈夫なわけないし。「コレ、危ないと思いますよ?」と一言キレ気味に放ったところ、

「そ、そうですね…今日は実行委員の方でこのポールを管理してるので…言ってきます」

いやいや、主催者に安全管理を丸投げしてどーすんの。酔っ払いの喧嘩始まっても、管理は主催者って言うのか?!

つか、実行委員ここになおれ。

以上、長々と読んでいただきありがとうございました。

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