今日、公園で遊んだ帰りに橋を渡っていた時のこと。
娘はベビーカーに乗らず、「抱っこー」なので私が抱っこ、夫がベビーカーを押しました。向こうからも人が来ていなかったので、並んで歩いていたのですが、ちょうど橋を渡り切るあたり、木の影になっているところで、角から曲がってきた男性が一瞬待つ形になりました。
渡り切る直前で気付いて(1.5mくらいですが)私が早足で歩を進め、その後ろからベビーカーを押す夫とすれ違った直後、その男性が振り返り、
『チッ。並んで歩いてんじゃねーよ!』
怒鳴りつけられました。
……
かなり大声で言い捨てる感じで、子どもに危害が及ぶのは嫌なので立ち去ろうとしたところ、夫が反応。「いいから!」と、私が止めるのも聞かず、2人で向こうへ消えて行きました…(おいおい…抱っこしてんのにベビーカーどうするんだよ。)
とりあえず、2人の行った方向に、娘を抱っこしながら、もう片手でベビーカー押して追いかけましたが…
なぜ怒鳴られなきゃならないのでしょう?誰もいない橋です。男性が来たのは、もう橋を渡り切るあたり、男性が立ち止まったのに気付いて縦列になったし、1秒や2秒お待たせしたのは申し訳ないですが、怒鳴るほどでしょうか。
このような事が自分の身に起きたのは初めてですが、いろんな話を聞く度に思うのですが…
なぜ、子どもに関する事ばかり言われるのでしょうね?
- 満員電車に乗るな
- ベビーカー畳め
- 泣き声がうるさい
- 妊婦は病気じゃない …など
これ、車椅子やハンデキャップのある人、お年寄りの場合はどうなんでしょう。
ベビーカーが邪魔と思う人は、車椅子も邪魔なはずですよね?でも、車椅子の人に、車椅子を畳めと言うのはあまり聞きません。立てないから仕方ない、ですか?赤ちゃんだって立てませんよね。赤ちゃんは母親が抱っこしろ?車椅子に付き添いの人がいたら、その人に抱っこしろと言うのでしょうか?
視覚障害のある方の待つ白杖は?あれ、後ろからだと気付かないので、足に絡まってとても危ないです。でも、白杖を使うなと怒鳴るのもあまり聞きません。
この前、ある男性が、満員電車内で口を塞がずにクシャミをしていました。それも、10秒置きくらいの感覚で。どう考えても迷惑ですが、誰も何も言いません。その方は知的なハンデのある方ですが、そんなの関係ないはず。
妊婦が優先席に座ることを良しとしない人たちは、お年寄りにも席を譲らないのですね。妊婦は病気じゃありませんが、お年寄りも、歳を取ること自体は病気じゃありませんからね。
言葉が話せない子どもにとって、泣くことは自分の気持ちを伝える手段の1つですし、止めろと言って止められるものではありません。体 むしろ、酔っ払いが席を占領したり酒臭かったり、イヤホンから音漏れしていたりするほうが、止められることなのに止めない点で、迷惑行為ではないですか?
あと、力の差。ベビーカーを押しているのが、いかつい感じの男性でも、同じ事を言うのでしょうか。
要するに、”公共” という武器を振りかざして弱い者いじめをしている。そういう人も一定数居ると思うのです。ターゲットは、守らなければならない存在がある女性や、明らかに力負けしそうな夫婦。『子どもに危害が加えられたら…』と思えば、多くの女性は堪えることを選択する、それを分かっているんでしょう。さらに、ハンデキャップがあるわけではないので、『正しいことをしている、人道に外れていない』と己の行動を正当化できる。
もちろん、マナーの悪いベビーカーや、譲られて当然という態度の妊婦さんもいます。でもそれは、車椅子も白杖も、酔っ払いも、お年寄りも、通行人も同じこと。
子育てをしている母親たちのほとんどは、
「うるさくして、すみません」
「邪魔になって、すみません」
と言いながら日々過ごしてます。
でも、子どもを連れていることで、なぜ謝りながら生活しなきゃならんのか疑問です。堂々としてると叩かれるから、下手に出た方が楽だから、とりあえず謝っておく。私も同じですが、それも良くないのかもしれませんね。
今後は、「すみません」ではなく、「ありがとうございます」と言うように心がけてみます。
ストレートに書きましたが、誰でも大なり小なり違いがあるものと思っているので、誰かを卑下したり、尊厳を傷付けるつもりはありません。